はじめに
この度は数あるブログの中から、このサイトにお越しくださりありがとうございます!
突然ですが
既婚者の方へ
もし、夫が突然働けなくなったら…
あなたは今の生活を維持できますか?
はじめまして。
わたしはこのブログの運営者ぐりと申します。
✅ 地方で暮らす平凡なアラフィフ主婦
✅ 夫の体調不良がきっかけで、経済力ゼロから自分で稼ぐ力を身につける
と決意をした50代の主婦です。
夫と子どもたちと穏やかに平凡な毎日を過ごしたいと思っていたましたが
ある日突然夫の体調不良で家計の不安に直面することになりました。
「このままではいけない」と焦りながらも
何をしたらいいか分からず
扶養内勤めのパート主婦から前に進めないまま時間が過ぎていました。
しかし、あるオンラインスクールと出会い
今では夫に内緒でこっそり在宅ワークを始めています。
そして、さらに
✅ 1年後に在宅ワークで月収30万を達成
✅ 稼ぐ力を身につけ老後資金の不安解消
✅ 夫婦一緒に穏やかに暮らせるシニアライフ
を目標にしています。
その未来を達成するために、このブログを立ち上げました。
ですので、
もし今までに「自立」について考えたことがある人や
夫の収入に頼らない生活がしたいと思ったことがある人などに
このブログに興味を持っていただけるとうれしいです。
では、ここに至るまでの背景や自己紹介のお話をしたいと思います。
基本情報
ハンドルネーム:ぐり
得 意 な こ と:人からこっそり秘密を打ち明けられること
ライフワーク :カメラ、スナップ撮影(写歴35年)
今までは
✅ 仕事よりも趣味・好きなことがライフワークで生きてきました
生い立ち
誕 生 : 香川県善通寺市で生まれる
幼 少 期 : 5歳で母を亡くす
小 学 校 : 父の再婚と転校
高 校: 周囲に流され進学校へ進学、不登校から休学
休学中にカメラに沼る
2年留年して復学卒業
大 学: 勉強よりも写真に夢中
社 会 人: 仕事は一生懸命取り組むも写真に夢中
結 婚 出 産: 専業主婦となり、子育てに集中
慣れない土地で頼れる人もいない中、育児
10年のブランクから明け、仕事社会復帰
夫の体調不良
現在までの生い立ちは、ざっくりとこんな感じです。
✅ 好きなことを仕事にはしたくなかったタイプです
「最高の幸せ」と「この世の終わり」
わたしは香川県善通寺市で生まれました。
田舎ですが、弘法大師空海の生誕地と言われている場所です。
父と母そして兄の4人家族。
一般的な家庭でとても幸せな幼少期を過ごしていたんだと思います。
しかし、5歳のころに突然母を病気で亡くしました。
よくある幸せな家庭から、突然深い悲しみを背負うことになりました。
頭の上から獣に食われ世界が真っ黒になった瞬間です。
小さい頃に大事にされていただろう母との暮らし、母の姿、母の声、父と兄、自分のことなど、どんなに頑張っても記憶が思い出せません。
父や叔父叔母から聞いた話によると、
母は
・人のお世話をすることが好きですごく前向きな性格だったこと
・裁縫の先生をしていたこと
・お菓子を作るのが得意でよくシュークリームやケーキを手作りで作ってくれていたこと
・とにかく元気で明るかったこと
周りら頼りにされる女性だったと教えてもらっています。
幼い頃に父が撮ってくれた写真には
誕生日に母が作ってくれたケーキを嬉しそう見せる自分が写っています。
幼少期の記憶はうっすらと目を細めて見えるモザイク画のように、シュークリームへクリームを入れる自分がぼんやりと見えます。
母が体調不良で入院をしてからは父や祖父母に連れられて、病室で過ごす母に会いに行っていたんだと思います。記憶はありません。
それから手術後経過様子見の期間に母の体調が急変し、ICU室へ部屋が変わったそうです。
それからは母の側へ行くことはできなくなってしまいました。
病室前のドアまで行って中を見ると笑顔で手を振る優しい母の姿がありました。
自分の中で記憶している母の姿はこれだけかもしれません。
でもそれが事実なのかもあやふやです。
あやふやだとしても、その時の母の優しい笑顔ははっきりと思い出せます。
ですのでわたしの中での記憶は本当に母の姿なんだと思います。
そして12月中旬の真夜中。
普段通り2段ベッドで寝ていた兄とわたしを祖母が起こしました。
「起きなさい。お母さんが。。。」
と、眠い中がんばって起き上がり
祖母に手伝ってもらい服を着せてもらったような気がします。
その間わたしは感覚的に何か最悪なことが起こったんだなと感じ
その瞬間に獣に頭から喰われる恐怖が全身を襲ったのを覚えています。
そこからの記憶は全然ありません。
覚えているのは、ただ灰になってしまった母でした。
意味がよく分からず、そこには母の姿や目に見える形はなく
人間は灰になるんだと感覚的に知ったものでした。
この時の感覚は、大きくなっても煙草の灰を見ることで呼び起こされました。
それからというもの
いつもと違う予想外のことが起こって
ありふれた普通の日常が崩れることに怯えることになりました。
今、わたしは母親になりました。
子どもたちに母親にならせてもらえた自分が母のことを考えると
まだ小さい兄とわたしを残して逝ってしまうことが
どんなにか無念だっただろうにと理解ができます。
それを想うととても苦しくなるのです。
母とお別れをした後、
兄と2人で祖父母の家に預けられました。
山と川に囲まれた場所です。
澄んだ空気と青い空。目にするもの、聞こえる音、植物の香り、全てが新鮮で刺激的でした。
学校へ行く道は、
田んぼのあぜ道を抜け、虫を捕まえ、いちごハウスを通り抜ける。
早朝にしいたけを栽培している原木へ行き、
たくさんのカブトムシとクワガタを捕まえました。
竹林の中へ入っては、タケノコもたくさん掘りました。
夏になると満天の星空。
空気はおいしいし、川へ足をつけると冷たくて気持ちが良い。
田園風景が広がる祖父母の家での暮らしは寂しさに向き合うことから離れられ、とても楽しい時間となりました。光、風、全てが鮮明に思い出せます。
そして離れて暮らしていた父が再婚。
再び父のもとへ戻り、新しい母と新しい家族でまた4人での暮らしが始まりました。
この幼少期に、わたしは「最高の幸せ」と「この世の終わり」を両方経験しました。
✅「最高の幸せ」と「この世の終わり」を経験した幼少期
お金の心配をする必要がないという幸せ
父が再婚してから、
そこからまたごく一般的な幸せな家庭に戻った子供時代でした。
父が新しい母と出会ってくれた2人のおかげです。
父は家族のために毎日一生懸命働いてくれ、かっこよかったです。
母は、学校から下校するわたしを笑顔で出迎えてくれました。
玄関を開け待ってくれている母の姿に安心を覚えました。
毎日作ってくれた美味しい手料理の夕飯。
朝が苦手なわたしを、母は懲りずに何度も根気よく起こしてくれる日々。
眠い目をこすりながら食べる朝食のお味噌汁で今日も1日頑張ろうと思えました。
とてもとても幸せでした。
ほしいものを買ってもらえない。
食べたいものが食べられない。
という経験がなく、早く自分の力でお金を稼ぎたい!お金がたくさんほしい!と
強く思ったことも一度もありませんでした。
経済面を見るとお金の心配したことがない!
そんな子供時代でした。
と、改めて書いてみると感謝の気持ちが沸いてきました。
✅ ごく一般的な家庭だけど比較的裕福でお金の心配をする必要がなく幸せでした
転校生という生き方
小学校は家庭の事情で転校を2回。結局、3つの小学校へ通いました。
この時の経験で新しいコミュティーへ入ることへの抵抗がなくなったかなと思っています。
その反面、友達と言いたいことを言い合って、ケンカをして仲直りという関係の築き方は
学べないまま大人になってしまったと後になって気がつきました。
一見誰とでも付き合えるように見えて
実は人見知りで本音が言えず表面的な付き合いに偏ったものです。
何かを積み上げていく、深めていくという感覚はあまり持てなかったです。
表面をそつなくこなすことが問題なくうまく過ごすコツでした。
キャリアを積み上げるということにも同じようなやり方をしていたと思います。
でも逆に幼少期から子どもの頃の間に
周囲の人の心や感情を見ることや観察することを身につけたと思っています。
受け身な人付き合いです。
✅ 転校生を繰り返すことで新しいコミュニティーへの抵抗がなくなりました
✅ 一方、意思を通しぶつかっても乗り越えて深めていく感覚はつかめませんでした
この感覚は仕事への姿勢にもつながっていたと思います。
「最高の幸せ」をもう一度
社会人になってからは、職業柄残業が多かったです。
とにかく目の前にある仕事だけは精一杯こなしました。
夜遅く、夜中に帰ることも多かったです。
ただ、与えられた仕事に対してはやる気はあっても、
あまりやりがいということが分からないまま働いていたと思います。
趣味の方が好きすぎてその生活を守っていました。
働く目標がわからないまま転職。
残業が多い月はお給料は多かったですが、結局年収は低いままでした。
そして、友人の紹介で今の夫と出会いすぐ結婚。
父と同じように家族のために一生懸命働いてくれる夫。
子どもたちからみても尊敬できるお父さんです。
友達も身寄りもいない土地で頼る人も誰もいない中で、子育てをするのは本当に大変でしたが、
お金の心配はせず子育てを楽しむことができました。
わたしは、幼い頃の経験から幼少期の記憶がありません。
だからこそ、それをもう一度追体験するつもりで毎日を全力で子どもたちと一緒に過ごしました。
子どもたちには自分と同じ思いをさせたくなかったので不安にさせる時間がないようにと、
学校へ行っている以外はいつも一緒に過ごしました。
それができたのも夫の稼ぎのおかげで専業主婦ができたからです。
とても感謝しています。
子供たちとの時間は夢のように一瞬で、そして永遠でした。
蛍が飛ぶ頃になると始まるキャンプシーズン。
キャンプ仲間と過ごす毎週末のアウトドア体験。
日課のようにプールか海へ通った夏休み。
ドンドンとどこまでも歩いて一緒に冒険をした散歩道。
雨上がりにみた大きい虹。
高い空、入道雲。
どれもが、宝物でした。
わたしは、幼少期に体験していただろう「最高の幸せ」をもう一度手に入れました。
✅ 夫の稼ぎのおかげで専業主婦で全力で取り組めた子育て
✅ いつも子どもと一緒にいることで得た信頼と安心
なんとかならないかも・・が再び襲う
40代になるまでお金の心配をしたことがなかったせいか、
お金について深く学んだこともなかったし、
不安を感じることはなく、
「まあなんとかなるだろう」くらいに思っていました。
子どもが高校生になった頃に10年以上のブランクから明け
パート勤めを始めました。
子どもたちの教育費のためにも家計の助けになればと
扶養内で収入を得て
このままのんびり穏やかに過ごせたらなぁとも思っていました。
が、その「まあなんとかなるかな」が「なんとかならないかも」に変わる試練が起こりました。
それが夫の体調不良でした。
初めて私は経済的不安を覚えることになったのです。
この時の不安は私に
子どもの頃に経験をした「この世の終わり」を再び思い出させました。
夫が働けなくなるかもしれない不安。
子どもはまだ学生。
しっかり稼いだことがない自分が夫に代わって大黒柱になれるのか。
そもそも生活ができるのか。
ご飯は食べられるのか。
家のローンは。
ドドドーーと、一気に不安な気持ちに襲われました。
おまけに
介助が必要な夫の体調を考えると
外へは働きにいけない。
それに夫の体調を維持するためにかかる定期的な保険治療と自費治療の出費。
どうすれば、介助と収入の両立が維持できるのだろうか。
先が見えない・・どうしよう・・
✅ 初めての経済的お金の不安に直面しました
✅ 先が見えない不安が再び幼少期の恐怖を思い出させました
そこから、
いろいろな働き方について一生懸命考えるようになりました。
お金で買えるもの買えないこと
とにかく
こんな年齢になるまでお金の心配をすることなく過ごせた理由は、
特に家がとてもお金持ちだったからということではなく、
父と夫がしっかり働いて稼いでくれ、母がしっかりと家を守ってくれていたから。
それとは反対に、小さい頃から人間には自分ではどうしようもできない運命ってものがあるのだなといった虚無感を抱えていました。
幼いころに会えなくなってしまった母に会いたい!満たされたい気持ちはそれでした。
お金を払って母に会えるのなら、お金をがむしゃらに稼いだ人生になったかもしれません。
一億円たまったらお母さんに会える魔法を教えるよ!
と聞いたなら必死で一億円を稼ぐ方法を探したかもしれません。
でも、現実はお金では解決できないというあきらめた気持ちを持つのみでした。
今になって思えば
もし、この悩みに現実的な生活費のお金の心配まで加わっていたら
ありふれた穏やかな日々は暮らせなかったかもしれないとゾッとします。
お金と幸せの関係。
どちらの重さも知るからこそ
変わることがあると今は信じています。
人生には予定外のことが起こります!
予期せぬ出来事 がつきものです。
とても苦しいこともあります。
そんな時期でも必ずお金は必要です。
そういうもしもの時に備える意味でも、
稼ぐ力!を身につけた方が良いです。
恵まれた環境のおかげで
のんびり暮らしてきた私ですが
今は、どうしたら漠然とした不安を抱えることなく安定した生活費をしっかりと稼ぐことができるのかについてよくか考えています。
私のように「もしもの時」になってから慌てるのではなく、
準備ができている安心感を手に入れておくことで
お金の不安を減らして
人生の選択肢、自由度が上げていけると思います!
✅ お金で買えない悩みを抱えている不安
✅ お金の不安を考えない幸せ
稼ぐ力で手に入れられるもの
この先は
「経済的自立と精神的自立」が大きなテーマです。
そして、「地方で暮らす主婦が在宅ワークで月収30万を目指す!」
生まれて初めて自分の意思で決めたお金の目標を
このブログで達成していきます。
どうぞよろしくお願いします。
そして、
このブログを読んでくださる方も一緒に
私もできる!やってみたい!と前に進んでいってもらいたいです。
一緒に稼ぐ力を身につけて自立と自由を手に入れましょう。
自分らしく豊かになったら何がしたいですか?
わたしは迷うことなく子どもたちに
シャインマスカットを買ってあげられる自分になっていてたいです☺️
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。